板東のバラック式収容所
板東における日本初演 交響曲第9番 作品125
1918年6月1日の初演より約1年前に、 頌詩"歓喜に寄す"は男声合唱に編曲されて、徳島オーケストラのプログラムに載っており、パウル・エンゲル作曲の"青島戦闘マーチ"の中にも出てくる。![](/en/exhibition/the-power-of-music/images/bando_42.jpg)
1917年6月10日 交響曲第9番終楽章のコンサート
プログラムに添えられた頌詩は、マックス・ヒョップスの分析に基づいた曲の解説がされている。交響曲についての詳細なテキストは、講演文かも知れない。それはワーグナーのベートーヴェン像で、抜粋も"プログラム?の様式もその影響を受けている。
毎週(後に毎月)発行された収容所新聞"ディ・バラッケ"には、他の演奏会の時とは違って、批評ではなく2回にわたって、ペーター・シュプルツェルンの"シラー - ベートーヴェン - ゲーテ"という題の、長い精神科学的な論文が掲載された。
その少し後で久留米と習志野の収容所でも交響曲第9番が演奏された。日本では終戦後ではあるが、9番から名付けて"第9"と呼ばれるようになったが、この曲が一般に知られるようになったのは収容所外の場所で、例えば久留米女学校などで演奏されてからである。 その後、変わらぬ人気で毎年何回となく演奏されるのは大変喜ばしいことである。 展示されている第2楽章コーダの一部のベートーヴェン自筆譜は、今日"メモリー・オブ・ザ・ワールド"としてユネスコに登録されている。