音楽の力。

1917年―1919年板東(日本)におけるドイツ捕虜収容所の文化的生活
ベートーヴェン・ハウス ボン 特別展示会

板東のバラック式収容所

板東の劇場

ほとんどの劇に収容所オーケストラか、またはその中の何人かが序曲や幕間音楽に参加した。その最高潮は、5回続けられたベートーヴェンの劇付随音楽、ゲーテの悲劇:"エグモント"であったに違いない。
1919年2月 公演
最後の"バラッケ"に載っている舞台小道具は、捕虜たちの中の熱烈な演劇ファンによる演出や優秀さを物語っている。
収容所新聞には"エグモント"について、作品のテーマである自由な考え方とヒーローの死を、捕虜としての彼らの立場と比較しながら解説している。
批評者は収容所の状況からくる上演の不備を指摘しながらも、良い出来ばえを強調した。劇音楽の詳細な解説者は、たぶんハンセンであろう。
『エグモント』の中の"道のシーン"の舞台装置で、構想はヴィルヘルム・ブロムベルク
ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの悲劇『エグモント』のための音楽 作品84のベートーヴェンが訂正した曲の写し
『エグモント』の中の"公爵夫人の部屋”の舞台装置で、構想はヴィルヘルム・ブロムベルク
『エグモント』の1場面
この写しには、楽譜の訂正のみならず、ベートーヴェンによる音楽と演劇を結び付ける台本のト書きが書き込まれている。
これはベートーヴェン自身が見出しを付けた最後の曲の出だしである:
"エグモント、財産を守れ! 愛する者を救い、私のように喜んで死ね。この言葉の後オーケストラが突然火を噴くように始まる。" この悲劇では、音楽はドラマのひとつの根本的な構成要素となるように、既にゲーテの中では定められていた。
ゲーテは幕が下りたあと、"音楽が加わり勝利のシンフォニーと共にこの劇は終る。"と書いている。ベートーヴェンの指示は、多くの箇所でゲーテのイメージを超越している。ゲーテは"ベートーヴェンは素晴らしい才能で、私の意図するところを理解した。"と述べている。