音楽の力。

1917年―1919年板東(日本)におけるドイツ捕虜収容所の文化的生活
ベートーヴェン・ハウス ボン 特別展示会

板東のバラック式収容所

他のコンサート

板東町立公園の開園式には、M・A・K楽団が軍音楽家であるカール・タイケのポピュラーな行進曲を演奏した。もちろんクリスマス・コンサートもあり、1918年にはM・A・K楽団はハンセン編曲の弦楽のための"クリスマス・メドレー"を演奏した。

1919年3月23日 コンサート
1918年12月22日 コンサート
1919年8月25日 コンサート
1919年7月 色々異なった出しもののある夕べ

シュレスヴィヒがドイツに属するか、あるいはデンマークに属するかの投票に参加できるよう、1919年8月26日ハンセンは6名のシュレスヴィヒ・ホルシュタイン出身の捕虜と一緒に釈放されたが、その前夜送別演奏会を催した。
また、種々の"色々な催し物のある夕べ"にも音楽グループが参加する一方で、1919年7月末の収容所新聞には"この急ぎ方は何故だ、もう少し待てるのに"というハンセンのクープレ(時事小唄)が載っている。